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自己紹介

①幼少期〜小学生:承認欲求が生まれる

わたしは東京の比較的裕福な家庭に生まれました。

2歳から英語を習ったり、ピアノを習ったり…ほとんどの子が中学校受験をするような小学校に入学をしたり。

小学4年生から有名学習塾に通い始め、小学6年生のときには学習塾内での1番頭が良いとされるクラスで勉強を頑張ってきました。

成績が落ちれば怒鳴られたり、ときには暴力を振るわれたりしましたが、成績が上がると親からは「めぐはやればできる子」と言われ続けていました。

褒め言葉として両親は言ってくれたと思うのですが、わたしは「やればできる」ということは何も頑張らない自分のことは認めてくれないのかと感じていました。

またそんなとき、些細なことでしたが、放課後にみんなで遊びに行くということに誘ってもらえなかったことがありました。

その場所には、当時目立っていたりモテたりしていた子しか呼ばれていなかったのですが、その輪に入れなかったことが非常に悲しかったのを覚えています。

親からも友達からも「認められたい」「いい子に見られたい」と思うようになりました。

②中学生:歌やダンスをしているときの自分と、学生生活を送っている自分との違和感

小学校ときの猛勉強の成果があり、第一志望だった中学校に合格しました。

また、今までは受験勉強にしか注力をしていませんでしたが、小学校の友達がダンスを自慢してきたことが何度かあったのを思い出し、その子に負けたくないという思いから、家から近かったダンススクールに通うようになりました。

そのダンススクールで、のちに中学生から人気の雑誌のモデルになる友達ができました。わたしも芸能人になれば、尊敬されるような輝いた存在として周りの人から認めてもらえるかも!と思い、本格的に芸能界を目指すようになります。

いろいろなオーディションを受け、ワタナベエンターテイメントやavexの練習生としてレッスンを受けたりすることもありました。それなりに歌やダンスの上達が早かったので、発表会の選抜メンバーに選らばれたり先生や友達から褒められることが多々ありました。

「わたし、認められてる」と感じて自分に自信も持てました。

また、チームメンバーでの発表会があると、より良い発表にできるようメンバー同士で意見を素直に伝え合うことができる仲間もいました。

ただ、学校ではそんなことを感じることも少なく、自分の思ったことを素直に伝えると人間関係がうまくいかないことに気づきました。

女子はグループがいくつかでき、クラスでもカーストができているように見えました。

目立つ存在で居続けないと自分が悲しい思いをすることを経験していたので、カースト上位のグループに居続ける努力をしました。

歌やダンスをしているときは、自分の思ったように表現をしたり全力で自分を解放してパフォーマンスをすると褒められるのに対し、学校では自分の本音を言うと白い目で見られたり、ばかにされたりするようになりました。

お世辞を言い合ったり、無理に面白いことを言わなくてはいけなかったり、自分を偽っていなければその環境に馴染むことができないことに違和感を感じるようになりました。

仲間外れにされることは嫌でしたし、認められている存在になりたいと思っていたので、自分を偽り続けてでも校内のカースト上位のグループの一員として居続けていました。

自分らしく振る舞えなかったことや、周りからいじられたりすることもあり精神的には辛く、この時期から円形脱毛症ができ始め、赤面症に悩み始めるようになりました。

③高校生:集団の一員として身を置くことは向いていない。周りの人と違うことがしたいと思うように

高校では、バレーボール部にも入り心機一転できるかと思いきや、朝の部活に遅刻をしたことがきっかけで同学年の部員から無視をされるようになりました。

わたしの不注意ではあったのですが、集団って面倒臭いと思いました。

そんな中、高校1年生のときに同じクラスになったいわゆるギャルのような子に、憧れている一面がありました。

その子は発言や行動は破天荒で自由奔放でしたが、いつも自然体で、女子特有のいがみ合いとは無縁な子で、その場にいるだけで周囲を楽しませるような子でした。

わたしも自然体の自分を周りから認めてもらいたいと思っていたので、その子がとてもうらやましかったので、その子と一緒にいるようになりました。

その子と一緒にいて感じたのは、やっぱり無理に「いい子」を演じ続けるのはいやだということです。

そして、今までは「いい子」に思われたくてしていなかった学校帰りの寄り道や化粧などの、校則を破るようなこともするようになりました。

学校にも遅刻をしていくようになり、成績も360人中300位まで落ち込むほどになりました。

その結果、グループの一員として居続けながらも、わたしを「少し異端な存在」として接してくれることが増えました。

気を張り続けなくてもいいんだ、と思えたので、平和に過ごすために友達の顔色を伺って、言いたいことも言えずにもやもやしながら輪の中で過ごしていたときよりよっぽど気が楽になりました。

学校を休んで家でYouTubeを見て海外アーティストの歌っている姿や、ダンス映像を見て「うらやましい。わたしもこうなりたい。」と思い描いたり、ダンススクールに行ったりすることも増え、集団の中にいる時間を減らすことにより、自分の心地よい環境にいられることが増えました。

この頃から、もしこのまま普通に大学に行って、会社に勤めて…という一般的に歩むであろう人生を送ると、自分はきっとこれからも違和感を抱えながら生きていかなきゃいけないんだろうな思ったので、人とは変わった生き方をしてみたいと思うようになっていきました。

④専門学生:継続ができず、挫折を繰り返す

大学には進学したくないと思ったので、アメリカの大学に行くか、もしくは歌とダンスが学べる専門学校への進学をしたいと親に相談をするようになりました。

せっかく中学受験をして進学校に入ったので、当然親はそんなことを簡単に許してはくれません。

父が運転する車に乗っているときに「今すぐ降りろ!そして二度とうちに帰って来るな!」と言われたこともありました。

正直その頃、わたしの気持ちを何も理解してくれない父のことが嫌いでしたし、高校までに経験してきたことを振り返っても、大学に進学して周りと良い人間関係を築けるとも思えなかったので、車から降りようとしましたが、このときなぜか「降りるな!」と止められました(笑)

そして、専門学校を出たら自立するということを約束し、ダンスの専門学校に無事入学できました。

歌もダンスも経験があったため、学校ではそれなりに良い評価を得ることができました。

わたし自身も、実力があるし必ず成功する!と思っていました。

ただ、当然芸能界の世界ではオーディションを受けるわけで、人に審査をされることが多くなりました。

中学生や高校生のときよりもオーディションを受ける人の実力が高く、オーディションに合格するより落ちることの方が多くなりました。

人と比べられて落とされ続けることで「あなたはだめな子」と世の中から思われている気がして、人の目がとてつもなく嫌になり、1週間、コンビニしか行けない生活をしたこともありました。

それでも卒業公演をやり遂げ、卒業間近には事務所からいくつか声がかかっていましたが、事務所に本格的に所属をするには、まずは養成所に入ってレッスンを受けるということが条件でした。

「事務所に即所属ができないということは、あなたはそこまで必要とはされていないってこと」と親に言われ、悲しかったですがその通りだと思い、すべての事務所への所属を断ります。

こんなはずじゃなかったのに…と思いつつも、何にもなれないままなあなあとフリーター生活をすることとなりました。

そんなわたしに親は毎日のように就職の道を促してきました。

それでも就職はいやだという強い想いがあったので、いつかわたしにもチャンスはあると信じて歌とダンスのスクールにはめげずに通っていました。

しかし、本当にわたしにできるのだろうか。やはり違う道を探した方がいいのだろうか。という不安な想いももちろん心の奥底にはありました。

そんな時、当時バイトをしていたカフェで外国人のお客様と英語でフランクにコミュニケーションを取ることがとても楽しいと感じる機会が多くありました。

元々海外が好きだったこともあり、やっぱり若いうちに海外に行ってみたいという想いが強くなりました。

英語と自分が得意な接客業を掛け合わせて、ホテルへの就職を考え、親を説得。これに関しては、「やっと就職してくれるのか」と親も思ったらしく、海外研修制度のあるホテルの専門学校の英語専攻科に通わせてもらえることになりました。

海外で自分が英語をすらすら話しながら仕事をしている姿を想像してわくわくしました。

英語も得意だし、ここなら自分が輝ける場所で活躍できる!友達ができなくてもここでならがんばれる!と思っていました。

行く予定ではなかった留学も父にお金を支援してもらい、行くことができました。

留学もでき、インターンシップで海外で働くこともできましたが、日本人の子たちと過ごす時間の方が長かったので英語はそこまで上達しませんでしたし、自分が思い描いていたように、自然体なままの自分を認めてもらえる環境をみつけることはできませんでした。

むしろ、英語が不慣れなことによってネイティブの方になめられることが多かったです。

また、ホテルは24時間稼働のため、深夜から朝にかけて働くことももちろんあります。
規則正しい生活ができず体調を崩してしまうこともあり、今後ずっとホテルで働いていくことはできないと思いました。

結局海外で働くことも、ホテルで働くことも断念したのですが、日本に帰国して思ったことは、「わたしは何をやっても続けることができない」でした。

⑤社会人〜現在:マーケティングと出会い、認められる自分になるための挑戦をする

ITが発展してきているいま、ITのことを何も知らないと取り残されていく!と思い、帰国してからは日本のIT企業に就職をしました。

社内以外で出会いがほしいと思って始めたマッチングアプリで会った男性が、フリーで芸能活動をしたりイベントを主催している方で、その方からの紹介でたくさんのフリーランスや経営者の方と会うようになりました。

世の中には就職をせずにこうやって組織に縛られず、自分の好きなように仕事ができるんだ。と、かなり衝撃を受けました。

わたしも周りに縛られずに自分の好きなときに好きな場所で仕事をして生きていきたい!と思い、まずはフリーランスとして働けるようになるために起業塾や起業を目指す人のコミュニティに入るようになりました。

コミュニティには、わたしと同じように好きな場所で好きなときに働きたいという考えを持っている方もたくさんいて、一緒に切磋琢磨できるような環境が居心地よかったです。

ここまでの人生、何をやってもどこへ行っても継続できることがなく、ずっと自分が輝ける場所を探してきましたが、わたしの目指す場所はここかもと思うようになっていきました。

そこから、手当たり次第に稼げそうなネットワークビジネスや不動産などの営業代行の副業をしましたが、お金を稼ぐことにフォーカスをしすぎて、自分の自由な時間が取れず、疲弊していきました。

いろいろな交流会やセミナーに通っている中、とある女性起業家に出会いました。

その方は中卒で、20歳で子供を産んでさらに離婚も経験しているにも関わらず、周りの人から信頼されていて、自立していてとてもかっこいい女性でした。

わたしもこんな女性になりたい!と直感的に思いました。

その方が美姿勢サロンを運営していることもあり、美容系の知識も豊富だったり、地球環境保護の活動もされていて、環境活動家の方のセミナーをわたしも実際に聞いて地球環境保護活動にも興味を持ち始めるようにもなりました。

また、その女性は「マーケティング」を習っていたから中卒のわたしでもここまで来れたということをおっしゃっていました。

マーケティングがビジネスをするうえでとても大切なことだとは思っていましたが、自分にはマーケティングなんていう難しいことはできないと思っていました。

⑥マーケティングを通して自分を見つめ直す

わたしは今まで何かをやると決めてもなかなか続かず、さまざまな環境を転々としてきました。

行動にも一貫性がなく、そんな自分のことが好きになれませんでした。

そんな中、マーケティングを学ぶうえで自己理解が深まっていき、わたしが理想の未来を手に入れるためには認められる場所に行くのではなく、「認められる自分になるために行動をしなくてはいけない」ということに気づきました。

わたしは無意識のうちに「この環境に入ったら認めてもらえる」と思っており、いろいろなコミュニティを転々としてきました。行動をし続けていてすごいね、と周りから認めてもらえると勘違いをしていました。

女性起業家の方は自分から発信をしたり行動に起こしたり、誰よりもがんばり結果を出し続けていて、他人に依存することなく活動を続けていました。

そして、その方の周りにいた女性はみんな健康的でいきいきとしていて、芯があって、かっこよかったです。

何より、自分の好きなことを周りを気にせず行っている姿がとても自由で素敵だと思いました。

わたしは、自分を理解し、認めてあげることによって、やっと自分の望む未来へ進むための準備ができるんだと思いました。

⑦いまの自分の想い

わたしは、自分が身体的にも精神的にも健康でいることが生きていくうえで何より大切だと思っています。

また、自分の身体のことや外見に興味がなかったとしても、生きている以上、自分の健康がまったく関係のない人はこの世にはいません。

いまは元々好きだった健康・美容を軸に、たくさんの人をサポートしていきたい。毎日いきいきと過ごせる人を増やしていきたいと思い、発信をしています。